駒ヶ岳の生成と歴史
参考資料:『日本地形誌 北海道地方』(瀬川秀良著 朝倉書店)
『火山列島日本』(NHK取材版著 日本放送出版協会)
駒ヶ岳(標高1,131m)は噴火湾(内浦湾)に臨む活火山で、頂上には東西約2Km、
南北約1.5Kmの東に開いた馬蹄形の大火口があり、これを、北に砂原岳(標高1,113m)、
西に剣ヶ峰(駒ヶ岳最高地点)、南に隅田盛(標高880m)がとり囲んでおり、南の
やや低い火口壁を馬ノ背と呼ぶ。西に開いた押出沢爆裂火口も馬蹄形の火口をなしている。
駒ヶ岳は1640(寛永17)年以来たびたび噴火を繰り返しており、1765、84、1856(安政3)、
88、1905、19、22、23、24、28、29(昭和4)、35、37、42、96年にも噴火している。
これらの噴火の中でとくに大噴火と称すべきものは、寛永17年6月、安政3年8月と
昭和4年7〜9月のもので、寛永17年の爆発の場合には、津波で死者700名あまり、軽石、
火山灰砂でも被害をうけ、安政3年の爆発の場合には軽石、火山灰砂で一村落焼失、
死者20名といわれる。昭和4年の爆発の場合には軽石が流出し、噴出物総量約5億立方米、
死者1名、負傷者多数で山林、耕地、家屋にも被害を生じている。
(昭和4年の噴火)
1996年(平成8年3月5日)にも小噴火があった。
駒ヶ岳は成層火山であり、渡島富士の名で呼ばれることもあるが、頂上付近は35〜40度の
急勾配をなし、中腹は傾斜25度以下に減じ、標高150〜300mの第三帯では15〜10度の
緩勾配となり、麓では数度の傾斜となる。また、山体には多くの放射谷がつくられており、
南側には白蛇沢、西側には鈴木沢、押出沢、北側にはムサワヤヘモン沢、ナシ木沢などがあり、
これらの放射谷の多くは海抜200m以下においてははなはだしく浅くなり、100mあたりで
ほとんど全く谷の形を消滅し、ただ二、三のもののみ海岸までその痕跡をとどめている。
気象庁では火口の西南西4Kmに地震計を設置し、森測候所までテレメトリングして常時観測している。
北海道大学理学部でも6つの地点で地震の常時観測を行っている。駒ヶ岳の周辺山麓の水準点で
重力測定もなされている。